サガン鳥栖が変わるためには
サッカーを見ていると、
「ミスを減らそう」という言葉をよく聞く。
もちろん、それは大事だ。
パスミスを減らす。
ボールを失わない。
失点を減らす。
当たり前の話だ。
でも、最近の鳥栖を見ていて、
少し気になることがある。
「ミスをしないこと」が目的になっていないか。
ということだ。
ポゼッションをする。
ボールを失わないようにする。
でも、失う。
当然だ。
相手もボールを奪いに来る。
90分間、一度もボールを失わないチームなんてない。
だったら、
「奪われないための設計」だけじゃなく、
「奪われることを前提にした設計」になっているか。
ここが大事なんじゃないかと思う。
例えば、前に進めない。
でも、後ろには相手がいる。
だから戻す。
また戻す。
また戻す。
そして、奪われたくないから、さらに安全なところへ。
もちろん、それ自体が悪いわけじゃない。
でも、それを繰り返しているうちに、
「ボールを保持していること」
そのものが目的になってしまう。
そして、少しでも危険を感じると戻す。
これでは、
奪われないためのポゼッションになってしまう。
でもサッカーは、
奪われる。
ミスする。
ズレる。
競り負ける。
シュートを外す。
そういうことが起きるスポーツだ。
だったら、
「絶対に奪われないようにする」
ではなく、
「奪われても大丈夫な場所で奪われる」
という考え方があってもいい。
これは守備も同じだと思う。
失点した。
じゃあ、次は失点しないようにしよう。
もちろんそうなる。
でも、
「失点しないために全部を安全にする」
となったら、今度は攻撃が死んでしまう。
前に出れば裏を取られる。
人数をかければカウンターを受ける。
シュートを打てば外れる。
パスを通そうとすれば引っかかる。
それは失敗ではなく、サッカーそのものなんだと思う。
だから大事なのは、
ミスをゼロにすることじゃない。
ミスが起きたときに、どうするのか。
そこまで含めてチームを作ることなんじゃないか。
例えば、
右で攻める。
人数をかける。
そこでボールを失う。
じゃあ誰がカバーする?
誰が最初に奪い返しに行く?
誰が戻る?
相手が一気に前へ出てきたら、どこで止める?
そこまで決まっていれば、
「奪われること」は怖くなくなる。
むしろ、
奪われることまで含めて攻撃になる。
鳥栖には、もっとそこに勇気があってもいいと思う。
失敗しないようにするのではなく、
失敗しても次がある。
そういう設計。
もちろん、何でもかんでもチャレンジすればいいわけじゃない。
無謀に前へ蹴れ、という話でもない。
「ここで失えば危ない」
「ここなら失っても取り返せる」
その判断を、チームとして共有する。
そこにこそ、
ポゼッションの意味があるんじゃないかと思う。
そして、それは選手を楽にすると思う。
「絶対に奪われるな」
「絶対にミスするな」
と言われたら、そりゃ怖い。
一歩踏み込めなくなる。
一つ前のパスを選べなくなる。
シュートも打てなくなる。
でも、
「失ってもいい。
その代わり、失った後にどうするかは全員でやろう」
なら、もう一歩前へ出られる。
この前のいわき戦を見ていても、
鳥栖はもっとシュートを打ってもいいと思った。
もちろん雑なシュートはカウンターにつながる。
それは分かっている。
でも、
「打たないことによって失うもの」
もある。
完璧な形になるまで待っていたら、
完璧な形なんてそう何度も来ない。
だから、少し雑でも打つ。
外れる。
跳ね返される。
それを拾う。
また攻める。
その繰り返しの中から、ゴールは生まれる。
結局、
ミスをなくすことでは、チームは強くならない。
ミスはある。
失敗もある。
失点もある。
奪われることもある。
その前提で、
「じゃあ、どうする?」
をチームとして持っているか。
そこなんじゃないかと思う。
負けることは仕方ない。
それはスポーツだから。
少しずつでも、
「失敗しても前へ進めるチーム」
になっていくこと。
鳥栖が変わるために必要なのは、
もしかすると「ミスを減らすこと」ではなく、
ミスが起きても前へ進める勇気と設計
なのかもしれない。
その失敗が失点して闇雲になって
大学生の単騎突破が通用するかどうかだけ、、
というチャレンジのみなのは
チームとして少し寂しい気がしてしまう。
※ この記事は、2026年9月21日にアメブロ「虚言」で書いたものを移しました。

